児童養護施設出身大学生

よろしくお願いします。 いつもありがとうございます。

学歴(2)

こんばんは。


前回の記事の続きです。


高校を中退した子は、すぐには退所せずに、アルバイトをしてある程度のお金を貯めるそうです。一人暮らしを経験したことがある人はわかるかもしれませんが、生活するにはお金がかかります。生活を維持するめどを立てるだけではなく、初期費用、準備にかかるお金もバカにはなりません。

勢いで退学した児童が貯金をして、社会経験もないままサポートのない中で一人暮らしをする。本人が決めたことと言ってしまえばそうかもしれませんが、なぜそのような選択をしたのか。寄り添ってみてわかることもあるかもしれません。


当時の私の場合は、とても生きづらかったです。

同年代の子が、同級生が、文句を言いながらアルバイトで稼いだお金を都度娯楽に使う場面を見ながら黙々と稼ぐ。その時に使ってしまえば未来の自分の生活が危ぶまれます。私は性格上、自分がやっていることに文句を言うことを好まず、物事は納得してからでないと始めたくなかったため、さらに自分の行動を否定するような言動は控えていました。言ったとしても、誰にもどうにもできないということを理解していたからかもしれません。そしてさらに、そもそもの、生活をする場でのストレス。入りたくて施設に入っている子はいません。仕方がなく措置されているならまだしも、保護という名の下で、半ば強制的な家族との引き離しが行われていることもあります。身を寄せる場所がない児童、被虐待児童、非行児童など、それぞれに傷を抱え大変な中でも職員は少なく、やりたくてやっているわけではないと思いますが、当たられるような時もありました。私はアルバイトでは笑顔を心がけていたため、給料が発生して仕事としてやっている場所でストレスを出す職員に対して寛容にはなれませんでした。

(どうして給料をもらっているのに仕事ができないの?)(文句を言うくらいならやらなければいいのに。)(できない仕事をやろうとしないでほしい。)

家で四六時中家事をするよりもさらに忙しいかもしれない仕事をする人を、気遣いながら求めずに数年を過ごすことは簡単ではありませんでした。


「あなたたちにとっては仕事でも、私たちにとっては生活だから。」

と、職員に対して言った記憶があります。そのような言葉が口をついて出てしまうほど、気持ちは汲まれてもいませんでしたし、理解されてもいませんでした。そんな現実を目の当たりにして、心を閉ざさずにはいられませんでした。


学校に行っても、自分の環境を知らせてはいない、同年代の子の当たり前のような家族の話。お弁当ひとつとっても、泣きそうになることもありました。兄弟や姉妹の話、中学と高校が同じ生徒たちが楽しそうに話している姿、どれも無縁で遠いものでした。


学校をやめるどころか、死んだ方がマシでした。私の中に責任感がなければ、死後の処理のことまで考えない人間であれば、すぐにでも死んでいたと思います。死ぬことが怖いとは思いませんでした。生きていた方が地獄でした。心を殺してまで生きることが、人間らしい生き方でしょうか。一生治ることのない傷かもしれませんし、ましてやお金で戻る心でもありません。


退学して一人暮らしをする方が、心は守られたのかな。と思います。忍耐力がないと思われるのかもしれませんが、自分ができたのかを問われたとき、経験もしていない人に答えることはできないと思います。正論を言うことが正解ではありません。


こんな子どもがいることを(知らない方が幸せだとは思いますが)知ってほしいですし、同じように苦しむ人を少なくするために、こうしてブログを書いています。ぜひ、考えてみてほしいです。答えが出なくても、思ったことを言葉にして教えてほしいです。


長くなりました。また続きを書きます。

コメントもお待ちしております。