児童養護施設出身大学生

よろしくお願いします。 いつもありがとうございます。

変化

こんばんは。いつも読んでいただき、ありがとうございます。


今回は、私の中での変化について、書こうと思います。



私は、児童相談所や、児童養護施設で生活したことによって、結果的に、誰のことも信じられなくなりました。


頼みの綱であるはずの、福祉士や心理士の言動によって、幼かったまっすぐな心は傷つけられ、施設での暮らしは、現実を見れば見るほど、悲惨でした。ここにいる子どもたちの未来に希望はあるのかと、想像を巡らせました。


かろうじて生きても、苦しみながら、希望のない人生を送り続ける意味はあるのだろうか。と思いました。今でも思っています。


それでも生きなければいけないほどの理由がどこにあるのか。頑張れなどと言われても、それまでに頑張って頑張って、どうにか生きてきて、もう頑張る気力なんて残っていない時に、どうすればいいのか。そんな疑問を口に出せたら、まだ生き易かったのかもしれません。



最近、人との関係は大事だなと思いました。

もちろん、人を信用することは、簡単ではありません。私は、人を信じることは、同時に、また裏切られる覚悟をすることだと思っています。


しかし、周りにいてくれる人、少しでも、心をほどいてくれる人のおかげで、少しずつ、ほんとうにゆっくりでも、自分を出すことができました。そうやって関わっていきながら、信頼関係ができあがっていくものなのです。



いまの世の中で、傷ついたことがない人なんてそうそういません。中には、もう立ち直ることができないほどの傷を負う人もいます。優しい人ほど、傷ついてしまうこともまた、事実かもしれません。


そんな人に、生きてほしいというのは、言ってしまえば、無責任です。壁にぶつかるたびに、もうやめてしまえと思ってしまいます。そんな人に、生きてほしいだとか、頑張れとか、そのような言葉は、むしろ酷です。じゃあ死ねば。という言葉も、何の気なしに放っていい言葉ではありません。


頑張れないときにどうしようか、私からの提案として…



やりたいことを全部やる!



はい。どうせ100年経ったら、私たちみんな死んでます。金持ちでも、貧乏でも、好きでも、嫌いでも。


どうせ死ぬのであれば、心置きなく、できることをやりきってからの方がいいじゃないですか。


なんて思いながら、そんな中で、見えてくるものもあります。見てくれる人もいます。



後悔を残しながら、悲しみながら死ぬなんて、私は嫌です。誰でもそうだと思います。



一つの記事では長くなってしまうため、次回の記事に続けますが、感想やコメント、応援や支援は、いつでも受け付けております。(笑)



また次回、お会いしましょう。