動機
いつも、「児童福祉系の事業をやりたい。」と言うと、「どうして?」とか、「子どもすきなの?」などと言われます。どうして?きっかけは?という質問に対しては、長くなってしまうため、その場では流してしまいがちです。子どもは、好きでも嫌いでも。といった感じです。
私自身、自分が児童養護施設で長期間生活するなんて、考えたこともありませんでした。しかし、結果として6年間いました。人生にはなにが起こるかわからないな、と、つくづく思います。
施設に入っていなかったら…と考えることもありました。もしもあのまま一般家庭で育っていたなら、どんな未来が待っていたんだろう、と。
いくら考えても過去は過去であり、変えることはできません。いまを生きるか、未来のために生きることしか、私たちには残されていません。
また、どんなに真剣に人の話を聞いたところで、自らが経験していなければ、共感することはできないでしょう。その相手を慮ることはできても、その痛みがわかることはありません。
〈思いやり〉というものがあるならば、分かり合えない両者は、お互いに苦しいのではないかと思います。
弱くて弱くて仕方がないけれど、同じ痛みを持つ人を探してしまう。わからない感覚ではありません。
それでも私が生きていることを残しておきたい。こんなに強い『生』の意思が、自分の中に残っていることに驚きます。家族と離れ、友人と離れ、自分はこんなに寂しいのに、私が見ている世界は、私がいなくても回っていく。
そんな現実を見せつけられてこそ、全てを吹っ切ることができるのかもしれません。
失うものがない人は強いと思います。
また更新します。