未来を考える者として
こんばんは。いつも読んでくださり、ありがとうございます。
今に始まったことではありませんが、この時代に生きる者として、しばしば、未来が心配になります。時代の恩恵に恵まれと言うか奪われと言うか、考えることなく生きる人が多いように感じます。
正直、「無関心」な人が多いです。社会に対して、人に対して、
自分に対して。
ただ娯楽に走るだけ。
趣味はいいことだと思います。人間、楽しいことや希望がないと、人生をつまらなく感じてしまいますから。
しかし、それのために生きてしまう人もいます。もはや趣味ではなく、「利用されている」と、言わざるを得ないのではないでしょうか。誰かを幸せにするためではなく、自分が満たされることを目的に、主体をそれとして、他のことをする。経済を回してくださるのはありがたいのですが、なんかちょっと違うよな。と、思うのです。
否定するわけではありませんが、前に挙げたもののように、「愛」とか「優しさ」とか、「善」とか。犯罪とまではいかなくても、良いものから遠ざかってしまうような生活は、知らず知らず、多くの人がしているのではないでしょうか。
「〇〇の言ってること、難しくてよくわからない。」
私が同年代の人に、しばしば言われる言葉の一つです。こちらの話し方も、あるのかもしれません。
ですが、対象を変えて、ある程度歳を重ね、経験を積んだ人と話をすると、まあ理解してもらえる。
これは私の話し方だけの問題だろうか。ふと、疑問に思いました。
そして、若い世代の人を見てみると、難しいことを理解するための努力すらしていない人が多くいることに気づきます。ニュースすら見ない。知っていることと言えば、芸能人のスキャンダル程度。それはわからないよな…と、半ば、呆きれにも似た感情を抱きます。
私は経験上、社会的なことをよく話します。変わってほしいことがある。幸せになってほしい人がいる。明るい未来であってほしい。それを求めることって、そんなに悪いことでしょうか。
文句を言いながら出した税金が、何に使われているかも知らず、または、知ろうともしないのに、後々当事者になったころにまた文句を言う。それまで向き合ってこなかったのにです。
情熱があっても、(でも自分の力なんて小さいし。)とか、(どうせ社会は変わらない。)とか、諦めそうになる気持ちも、理解できます。変わりそうにないものを変えようとすること、待ち続けることは、簡単ではありません。また、それに繋がるきっかけがなければ、意思を強く持ち続けることは難しいでしょう。
でも、じゃあ今、心の底から笑えているのかと聞いたとき、胸を張って、そうだと言える人が、どのくらいいるでしょう。そこそこな幸せでいいなんて、私には理解できません。というより、したくもありません。
その諦めや無関心によって、また笑えなくなる人が増えるから。もっと言えば、自分たちに返ってくるから。
私たちってそんな事のために生まれてきたんですかね。
「生まれたくて生まれたわけじゃない。」
そんな声が、聞こえてきそうです。でもそれって、ほとんどの人が言えることではないでしょうか。
それなら、生まれてきた理由を、自分で見つければいい。見つけなければ、一生、何者にもなれず、漂うだけです。そんな虚しい人生ありますか。
怒りとか悔しさとか、あっていいと思います。そこまでいかない人は、人間性を、豊かにしてほしいです。完璧な人なんていなくても、努力なら、いくらでもできると思います。むしろ、そのためのコンテンツは揃っていると言っても、過言ではありません。
恵まれた時代の恩恵を、有意義に使ってくれる人が増えることを、願うばかりです。