変化 -続き-
こんばんは。お久しぶりです。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
さて、前回の記事『変化』で、次回に続けると書きました。
その回では、やりたいことを全部やることを提案しました。
でも、やりたいことがないときにはどうすればいいんだろう。そんなことを考えたときが、私にもありました。
その答えは、なかなか出てきませんでした。
大切なものは、諦めるしかなかったから。
やりたいことがない。私のそれは、意欲が無い、湧いてもこない状況でした。
本来は感謝するべき『生』なのかもしれませんが、当時の私は、どうせ生きているなら。と、思いました。
〈どうせ〉生きているなら、生きたくはなくても、ここに存在してしまっているのなら…。
誰かのためや、何かのためになることをした方が、よっぽどいいと思いました。
やりたいことをやるというのは、なにも、面白半分に迷惑をかけたり、犯罪まがいのことをするということではありません。ただシンプルに、やり残したことがあるという状態が、良くないと思ったのです。なんなら、〔なぜ生きているのか〕を考え続ける人生でもいいのではないかと思いました。だって、何十年、何百年後に、同じ疑問をぶつかった人の助けになるかもしれない。もしかしたら、もしかするかも。
そこまで考える人は、その時点で、失うものも特にないと思います。極論、なにも引っかかること、気になることがないのであれば、死んでいいと思います。
だけどぜったい、後悔だけはしないでください。
不条理に対して、純粋さをぶつけなかったことを。
負けたからといって、もういいよと、興味がなくなったフリをしたことを。
大切にしたい人と出会ったとき、自分を大切にしなかったことを。
まだできることがあるんじゃないんですか。
なんて、鼓舞したい気持ちもありますが、余裕がない人には、そんなメッセージを受け取れるだけの余裕も、もちろんありません。
できることなら私が、寂しさを抱えている人をみんな、抱きしめたい。人を傷つける人を責めるのではなく、そんな人さえ包みたい。
そんなことを思いながら、現実では、まだまだです。それでも、『まだ早い』とか、『実績もないから…』と言って、自分に言い聞かせるようにして、逃げたくはありません。今は、挑戦と失敗、そしてたまに成功を、繰り返しています。そうでもしないと、前に進めません。つまらない人生、生き甲斐のない自分なら、それこそ本当に《死んだ方がマシ》です。
もちろん、今が幸せな人は、その幸せを続けてください。周りにもそれを伝染させる勢いで。
けれど、自分の足で立つだけで精一杯な人もいるでしょう。誰かの手を借りないと生きられない人も、いるかもしれません。
幸か不幸か私は、人生の消費の仕方を見つけました。感謝かはわかりませんが、自分が生きることの意味を見出すことができました。
死にたくて生まれてくる人っていないじゃないですか。
どこをどう辿ったのか、私は結局、幼い頃に願ったことを、また願うようになりました。笑
生まれたことにも、生きていることにも、意味はあるんだと思います。このブログをあなたが読んでいることにもまた意味があるなら、それほど嬉しいことはありません。
コメント、お待ちしております。