児童養護施設出身大学生

よろしくお願いします。 いつもありがとうございます。

メンタルケア

こんばんは。



最近、ある人に、

「(あなたを)正しく理解したい。」

と、言われました。



その言葉を聞いた時に、私は、〔正しく理解〕というものはないのではないか?と思いました。あるのは、《自分なりの》理解や解釈だけです。



たとえば腹痛。誰かが、お腹がいたいと言ったときに、その痛みを感じることはもちろんできません。思い出そうにも、自分が体験したことのある痛みを想像することしかできないでしょう。別の個体である限り、同じように感じることも、ましてや理解することも、不可能です。


それでは、その痛みには手をつけずに、放ったらかしでいいでしょうか。

そうではないと、私は思います。


では、どうすればいいでしょうか?




想像力が必要です。


なにができるわけではなくても、近い気持ちや痛みを知っていれば、似たような痛みを知る者として、温かく接することができるのではないでしょうか。(逆にきつく当たってしまう人も、稀にいますが)



想像力には、圧倒的に経験が必要です。体験として自分のものとできれば一番良いのですが、それはなかなかむずかしい。知りたいと思った相手がなかなか自分を出さない場合には、時間がかかります。生身の人間は、思う通りには動きません。



そんな時に私がオススメするのは、【読書】です。


読書とは言っても、本をただ流し読みをするのではなく、登場人物を、自分や知人に置き換えながら読むといいです。その場合は、問題提起型のノンフィクションなどよりも、小説がいいでしょう。フィクションだからと言って、リアリティがないわけではありません。また、なかなか想像できないような場面があったとしても、自分の頭のなかでひねり出すことによって、想像力の幅が広がります。たとえば、テレビの情報は、どうしても受け身になってしまいがちです。咀嚼しようとしたら、次の話題が出てきてしまう。これでは、鍛えられるものも鍛えられません。


対して、本を読むというのは能動的ではありますが、自分のペースで進めることができます。“時間がない”   “忙しい”という人がいますが、あてのないネットサーフィン、受け身で見ていたらいつの間にか時間が経ってしまうSNSの投稿よりも、読書の方が、ためになると思います。活字が苦手な方には、エッセイをオススメします。最近では、写真を添えて書かれているものも多くあります。



身近な人や物、太刀打ちできない世界に対しての愚痴で日々を埋め尽くしてしまうくらいなら、本という、完結している物語を楽しむことも、いいかもしれません。


また、自分や周りに置き換えることによって、疑似体験をすることができます。それによって鍛えられていくものが、はじめに挙げた、《想像力》です。


完璧にわかることはできなくても、寄り添うことくらいはできるかもしれない。それに、人にしてあげた親切は、巡り巡って自分のところに還ってくるものです。それも何倍にもなって。



ちなみに私は最近、勉強も兼ねて、一日に一冊以上は本を読んでいます。ペースは人それぞれですが、途中で区切ってまた読んだときに、内容を思い出すプロセスを省きたくて、なるべく一気に読むようにしています。


もともと読書が好きだったため、幼児のころから本は読んでいましたが、大学生である今でも、飽きることはありません。笑   これまでに読んできた本の数が、そのまま人生の豊かさになっているような気さえします。それに、想像力どころか、洞察力が身につくことだってあります。


人を知るためには、自分を知ることもそうですが、その前に、視野や思考の幅を広げて、人間力をつけましょう。



愚痴で世界が変わるでしょうか。変わったとしても、そんな世界はまたすぐに壊れてしまいます。もっと恐ろしいのは、変わらなかったとき。不条理に対して愚痴を言っただけなのに、自分から人が離れていきます。そんな切ない時間は、できることなら、ない方がいい。

それにシンプルに、気持ちのいい人生を送りたいじゃないですか。人を嫌いになるより、自分を好きになれたらいい。


人間は弱いですが、そんな弱い人間を、私たちは生きていかなければいけません。誰かと助け合いながら。


この記事を読んでくださったあなたの人生が、豊かなものとなりますように。そんな気持ちで、今回は書きました。



また更新します。