出身者としてできること
こんばんは。おひさしぶりです。
今回は、施設在所当時を、少し振り返ろうと思います。
私のいた施設では、15人の児童の面倒を、1人の職員が見ていました。
もちろん手が回るはずもなく、さまざまな面で、不足していました。
福祉と言えど、子ども一人ひとりの生活、命を抱えています。どれか一つをないがしろにしていいなどということはありません。
職員にその意図は無かったとしても、“愛してもらえていない”という感覚は、それぞれの子どもたちが、感じていたと思います。
私はある時、「15人の子どもに対して1人の職員しかいないのは、おかしいんじゃないか」と、言いました。不満ではなく、意見としてです。
だってどう考えても、おかしい。一般家庭でもそんな人数の世話はできない。ましてや、専門的なケアを要する子が多い施設です。
職員には、「じゃあ法律を変えるしかないよ。」と、言われました。現行の児童福祉法で定められている職員配置基準は守っていると言うのです。
職員からも提言をしたりしているけれど、変わらない現状があるとも言われました。現場で働く人の声が届かないのなら、誰の声が届くと言うのでしょうか。当事者の子どもたちとでも言うのでしょうか?
施設で暮らす子どもたちは、人生に対して、前向きではない子が多かったように感じます。諦めてしまっているのです。
当時は、社会の難しさ、ままならさを感じました。今もです。
私が対処した今でも、その中で生活している子がいます。家族に会えない場所で、愛を求められない場所で、そんな中で生きているんです。
そんな生き方は悲しすぎます。それでも、そんな環境に置かれた子が、まだまだいます。
せめて法の部分から変えることはできないものか。そう思っています。
個々にそれぞれの感じ方はありますが、施設出身という立場として、私にしかわからない痛み、受け取ったありがたさが、あると思っています。
すぐに、大きなことができるわけではないです。児童養護施設は、まだ閉鎖されていると、言わざるを得ません。
それでも私は、こうしてブログを書いています。なにか伝えられるものがあるはずだと思っています。でもそれが、一方的なものになってしまってはいけない。
気を遣わない人ほど疎ましい存在ってありませんから。
社会に対して、人に対して、一方的な押し付けにならないようなシステムを、考えています。
もっともっと、それぞれが生きやすくなるように、今日も頑張っています。
応援していただければ、幸いです。