児童養護施設出身大学生

よろしくお願いします。 いつもありがとうございます。

運も実力の…

こんばんは。いつも読んでいただきありがとうございます。


最近、私の書いているブログによって救われたという、嬉しい報告を頂きました。


人生には、人間には理解できない、不思議なことがあるものです。スピリチュアルのようなことを言うつもりはありませんが、『運』というものはあるのではないかと思っています。



どんなに努力をしても、結果として実を結ばないとき、真面目な人であればあるほど、絶望感を抱いてしまいがちです。もっとまっすぐな世界で生きられたら、その努力は通用したかもしれません。


しかし、私たちが今生きている世界は、残念ながら、そんなに綺麗な世界ではありません。裏切られることもあるでしょう。損をしたような気分になることもあるでしょう。

そこで泣き寝入りをして、夢なんてなかったことにしたり、希望なんて知らないフリをしてしまえば、その歪んだ世界に負けたことになってしまいます。


ほんとに苦しい時、頼ることができない人ほど、深く傷ついてしまいます。その後の人生のほとんどが、色を失くしてしまうことだってあります。



そんな人を、少しでも救いたい。減らしたい。そんな想いでブログを書いています。


一般家庭から児童養護施設に行ったこと。運良く、並み以上の知性があったこと。培われた忍耐力があったこと。洞察力があったこと。バカになる勇気があったこと。「生きること」を手放さなかったこと。一度きりのチャンスを逃さなかったこと。


「すごいね。」


よく言われます。うんざりするほどに。笑

私にとっては当たり前のことを褒められても、あまり嬉しくはないんです。笑


私は私。あなたはあなた。

それぞれの頑張り方、生き方があります。それが誰かを励ます強さとして評価してもらえるなら嬉しいですが、ものすごく努力している人から士気を奪うものになってほしくはありません。


私は、自分の能力を認めながらも、セーブをかけることがあります。一人じゃ疲れちゃうんです。どこかで止まってしまう前に、ペースダウンすることを選びます。それを自覚しているからこそ、意図せぬところでの評価を望みません。だって、全力で頑張っている人がいるから。俯瞰というか、自重というか、機を待つというか…。




救世主ぶるつもりはありませんが、私に強みがあるなら、それを活かして、誰かを助けたい。救いたい。


「生き方うまいよね。」


そう言われる私でさえ苦しかったときに差し伸べられたかった手を、誰かに差し伸べたい。


孤独を経験しないと手に入れられない強さはたしかにありますが、どうしようもない孤独な時間は、できることなら無い方がいい。

短い人生、傷を負って過ごすより、誰かを愛せたり、誰かに愛される方がいいに決まってます。好かれる方法なんて考えず、無条件に。


私だって、できることなら、みんなを抱きしめたいんです。

寂しさに震えている人、明るい未来が見えない人、もう死にたい人。恵まれた環境でも、ギャップに苦しむ人、なんでもできてしまって、人生に張り合いがない人。それはそれで、つまらないですよね。



自分を救えるのは、突き詰めていけば、自分しかいませんが、うまく生きるヒントや、それぞれの、『自分らしさ』を消さずに、この世界で生き抜く方法。悲しい日々を超えて、強く笑える自分になる。そこに至るためのマインド、自分の世話の仕方や機嫌のとり方。

まだ20歳そこそこの学生でも、語れるものがないわけじゃないんです。年配の方を励ませることだってあります。


身も蓋もない話ですが、運のよさとしか言いようがないことも、私の場合には、多々ありました。

私はその運のよさで生きやすくなって、余裕を持って生活することができてます。


そのエッセンスを意図的に、自覚せずに、色々な方法で届けていきたい。このブログも、その意味も含めてやっている側面もあります。


少しでも誰かの役に立つこと。価値をきちんと生み出すこと。適切な報酬を受けること。

そのように、人と人は関わっていくのではないでしょうか。


運のよさは、宇宙かどこかからの期待値なのかなと思っています。だからこそ、自分だけではなく、それを持たない人に、還元しなければいけない。そういう意識で生きています。


私の人生に意味を持たせてくれる人たちが救われるなら、それほど嬉しいことはありません。